最近JAZZ界隈を歩いています。
スイング・ジャーナルが廃刊になって久しいなか、批評のほうに「JAZZと哲学」というイベントを見つけて、(自分なりには)行きつくところは同じだなと思ったところです。
人はなぜそう認識するかってやつですね。
加えてメジャー週刊誌の評論家で、面白いことを書いている方がいました。
「マニアなのか間抜けなのか、音楽評論家、批評の怪」
というものです。
これは噴き出して笑いましたが、
「音楽評論家よ、一般庶民をバカにするな」
「一般庶民が音楽を理解できないでいる、というのは大間違いだ」
「その理解度は変わらない」
「妙に知識に毒されたマニアよりも(、一般庶民のほうが)よっぽど純粋に音楽に接することができている」
というもの。
自分がどう属するかは別にして、これは究極の問いです。
今も昔も、「一般とマニアの境目は、経験量」という観点があって、音楽ならば自分の好みに合わせて、何度でも何時間でも「深堀り」できますが、ウイスキーを難しくしているのが、その何度でも何時間でもの「トライ」。
ウイスキー界隈で、結構な口達者の人でも、同じボトルはそうそう何度もトライしていないですし、有限資産なので、音楽のようにもいかない。
最近とみに多い障害は、経済性とウイスキーのリンクでしょうね。
個人的には、そんなもん「ちょろ飲みで、ボトル丸ごと分かった気になってるんじゃねー」って思いますよ。
そんなどころか、「一本だけで分かった気になってんじゃねー」って思いますもん。
(逆に私だって)1リリース複数本抱えたって、お前全部飲んでないじゃん、ってなりますけどね。
ウイスキーの場合。
(上記記事の)筆者はこう続けます。
大事なことは「ピュアな心で、本能の赴くままに、音楽に接することこそ至高」
「音楽は本来楽しいものである」
いやぁ、そう来ましたか。
楽しいことと、経済的な下準備とのリンク。
客観性と主観性。
まあ何度も書いていますが、改めて記すならば、
「経済性度外視で、同じボトルを何度でも試すのが、本当」
「売りたいやら、店の都合やら何やら、妙なスポンサードは嘘。」
というのが、個人的な考えです。
経験よりも蒸留所の知識が上回っても結構ですが、それが融合した時が、使い時。
結局のところ
趣味文化で、「客観性こそ真実、主観排除」など外道です。
自らの主観を柱立して、そのうえで他人と楽しみを分かち合いつつ、間主観性をいつくしむことこそ本来でしょう。
言い換えれば、週刊ゴングの客観性よりも、週刊プロレスのほうが、求められた真実。
そんなところです。
最近pppさんと飲みました。火曜日までタイムシフト可能です。
http://live.nicovideo.jp/watch/lv303983845?ref=share_bci
http://live.nicovideo.jp/watch/lv303983161?ref=share_bci
(↑50分経過後から)
アンティカ・ミルトンダフは4本目ですが、今回が最強。
ロングモーンも4本目ですが、芝公園で開けた初代を超えられませんでした。