今回の写真部便りは、ダンサー兼モデル、そしてシンガーでもあるこの女性の紹介です。彼女の名は、安本美緒
安本美緒 Mio Yasumoto
出生は横浜市、4歳からクラシックバレーを始め、中学時代にはダンサーを志し、17歳でデビュー。更に19歳で単身N.Y. に渡る等、プロのダンサーとしてのキャリアを積む。
歌う事に関しては、実は苦手にしていてカラオケに行っても歌う事は殆ど無かったという。そんな彼女が何故、シンガーに?
実は不得手であったからこそ挑戦したのだという。ダンサーとして順調にキャリアを積んでいたものの、この事に満足出来ず、がむしゃらに努力する様な目標を失いかけていた。そこで、本来不得意な歌に挑戦する事を決意し、2007年より歌手活動を開始した。2009年頃より路上ライブも始める。
勿論今でも、ダンスの方の研鑽も怠りは無く、最近ではフラメンコの習得を目指している。有名アーティストのバックダンサーをする等ダンサーとしてもモデルとしても順調に仕事をしている。
彼女は一見、おっとりした感じにも見える、所謂「癒し系」のルックスとも思える。実際彼女は我々の前で、少々おっとりとした所も見せる。彼女の曲はacoustic 系のslow で優しく繊細な感じのものが多い。
彼女はこれまで、4枚のシングルをリリースしている。
1st=さよならの後は (released in 2008) 2nd=メモリーズ (released in 2009)
3rd=ありがとうを君に (released in 2010) 4th=Life (released in Aug 2011)
(メモリーズと言ってもHigh Spirits ではなく、Life といっても某ス× × リバーズではない)
左画像 : 「メモリーズ」=2009年リリースの2nd single で彼女の代表曲。 tracks : 1. メモリーズ 2. I’m in Love 3. 大好き
右画像 : 「Life]=今年8月リリースの彼女の最新曲。 tracks : 1. Life 2. 運命の手紙 3. しあわせのありか
全曲、作詞は安本美緒、作曲は萱生昌樹
4th single, Life のリリースに合わせて、8月に大阪で、10月には東京でワンマンライブを行っている。
最近、メンバーズクラブを立ち上げ、これより1年間の目標数として300人を挙げている。そして、アルバムのリリースも目標に置いて活動している。又、これまでは作詞はして来たが、作曲にも挑戦中である。
ただ、ここで私見を挟めば、 シンガーとして5年目になる来年にもアルバムのリリースがあれば、それに合せて何らかのbreakthrough も必要になると思われる。
(ここまでの画像は川崎市・横浜市で撮影)
私が彼女をじっくり見る様になったのは本当に極最近である。以前、遠くから少し見た事はあったのだが、何故か間近でじっくり見る機会には恵まれずにいた。彼女の歌う姿を一度間近に見てからというものの、すっかり嵌り込んできた私である。
川崎の駅周辺ではほぼ毎週末、公認路上ライブという形での一寸したステージイベント(かわさきTMOバスカー等) が開かれている。彼女もそこで歌うアーティストの1人であるが、そのアーティスト達の中でも、華やかさは流石である。川崎界隈を中心に人気上昇中である。更には神奈川を中心に各種イベントMC にも活躍の場を広げている。
これからの彼女の活躍に乞う御期待。是非お勧めします!!
安本美緒ブログ ”安本美緒のスペシャルスマイリー” http://ameblo.jp/mioyasumoto
安本美緒公式HP http://yasumotomio.com/
余談になるが、川崎市の方の等々力で先日行われたあるイベントで、その日は雨の予報も出ていて、暗い曇天の中イベントは進み、最後に朝から司会進行をしていた彼女のステージに入った。残念にも後半なると雨が降り出した。しかし、観客は殆ど屋内に避難する事なく応援を続けた。彼女はその後、観客の温かさと優しさが伝わって来て、一生忘れないステージになったと語っている。 …でも、誰が彼女を見捨てて逃げる事等出来ようか。
私は勝手ながら、彼女を”歌うGlenrothes”、”ハマのGlenrothes” と個人的に認定させて頂きたい。エレガントで優しく流麗なSpeysider のイメージである。
Glenrothes 1968-2005 36yo 53.2%
Duncan Taylor Peerless Collection
Glenrothes 1968 がこのシリーズから幾つか出回ったが、その最初のリリースで、尚且つそれらの中で最も評価が高い。
この蒸留所は有名なので、説明するまでもないと思うが、Cutty Sark のメインモルトとしても有名で、去年、経営がMacallan 等を所有するEdrington Group からBBR ( Berry Bros. and Rudd ) に移った。Cutty Sark のブランドとの交換トレードという形だった。