メタリカとデイヴ・ムステインが。。。感無量。
↑Metallica w/ Dave Mustaine – Metal Militia (Live in San Francisco, December 10th, 2011)
不思議とVo.も当時の高さまで声を出そうとしているように思える。。。最近の歌い方ではない。出だしから容赦無いスピードで刻むムステイン。ラーズ(Dr.)への配慮は無いようだw
↑Metallica – Dave Mustaine/Early days
デイヴ・ムステイン wikipedia
1981年に最初のバンド「パニック」を結成。その後地元紙リサイクラーのメンバー募集記事にてメタリカのリードギタリスト募集を知り応募し、同バンドのギタリストとなる。メタリカはライブハウスを中心に活動し、デモテープ「No Life ‘Till Leather」はファンの間でコピーされその攻撃的なサウンドに惹かれた若者を中心に瞬く間に噂は広まり人気バンドとなる。しかしムステインの攻撃的な性格、ドラッグ、アルコールへの重度の依存はバンド内での軋轢を呼ぶ。
ドラッグの売人でもあったデイヴは、ドラッグを見張らせるための番犬を飼っていた。ある日、デイヴがその犬をつれメタリカのリハーサルに出かけたところ、その犬が当時のメタリカのベーシストであるロン・マクガヴニーの車に飛び乗りボディを引っかいてしまった(小便をかけたとの説あり)。かねてよりデイヴのドラッグ中毒にうんざりしていたジェームスがこれに激怒、デイヴの犬を蹴り飛ばしてしまう。これを見たデイヴも激怒しジェームズを殴ってしまった。
このとき、デイヴは一度メタリカを解雇されているが、デイヴの申し出を受け解雇は取り消されている。しかし、この後、デイヴは致命的な事件を起こしてしまう。ある日、ひどく酔っ払ったデイヴはロン・マクガヴニーのベースのネックとピックアップ部分に酒を大量に流し込んだ。知らずにベースにふれたロン・マクガヴニーは感電し、デイヴに嫌気をさしてメタリカを脱退してしまう。このままだとメンバーに危害を加えかねないとし、デイヴの代わりを探し始める。ただ、デイヴ自身を嫌っていたわけではなく、脱退時にジェイムズは涙したと言われている。
http://suicidegirls.com/interviews/Mustaine:+A+Heavy+Metal+Memoir/
何が最後の引き金となったのか、本当のところは誰もわからない。しかしメタリカがビジネスでニューヨークにいた4月11日の朝、シンガーであるジェイムズ・ヘットフィールドに起こされたムステインは、出し抜けにホームタウンであるLA行きのグレーハウンドバスのチケットを手渡された。彼はさしたる警告なしにメタリカを追われたのだった。
彼はその後、ニューヨークからLAに向かうバスのなかで地獄の4日間を過ごした。一文無しのため、同席者からごっそりチップをせがみ、どうして自分の夢が煙のように消えてしまったのだろうと思いに耽っていた。しかしながら、
絶望と傷心によって彼の才能を抑えておくことはできなかった。バス停で拾った核戦争についてのチラシを読んで、彼はキャッチーなフレーズに気付いた。
「The arsenal of megadeath・・・」
そして彼はLAに着くまでのあいだ、マフィンの包装紙の裏に歌詞を書きとめ始めたのだ。このとき彼は新しいミッション、「灰燼から立ち上がり、史上最も速く激しいメタルバンドを結成すること」を持つにいたったのだ。
27年後、メガデスはメタルバンドのパイオニアとしての評判を得ることとなった。
↑Megadeth – Holy Wars …The Punishment Due (Part 19 of 19) Rude Awakening (HD)
↑Metallica with Dave Mustaine “Phantom Lord” and “Jump In The Fire” in San Francisco
↑Hit the lights w/mustaine and more-Metallica Fillmore 12/10
ムステインの他、前任ベーシストのジェイソン・ニューステッドも登場。彼のヴォーカルを失ったことは今考えてみると非常に大きかった。
↑Whiplash w/Jason Newsted vocal-Metallica 12/10/11
↑Metallica – “Creeping Death” 12/7/11 @ 30th Anniversary Show w/ Jason Newsted